旭川「雪の降る街を」音楽祭
(旭川冬まつり協賛)
日本国民が誰しも愛唱している「雪の降る街を」をとおして、日本音楽の美しさ又中田喜直氏の持つ
誰しもが心が癒される美しい音楽を、雪の美しい旭川市を発信地として、全国に広めたい。
又音楽ばかりではなく「雪の降る街を」からイメージされる事を掘り起こし
旭川市の「町」づくりの一つとして、全国に誇れるものを創造して行きたい。

中田喜直氏と旭川市との関係
昭和45年第23回全日本合唱コンクール全国大会に、
北海道代表で旭川市立北都商業高等学校合唱部が出場した。
審査委員の中に中田喜直氏がおられた。北都商業高等学校は、氏の作品
「美しき訣れの朝」を合唱した。審査委員だった中田喜直氏は演奏に
大変感動しその気持ちを後、手紙で北都商業高等学校に伝えた。 
この様な縁から旭川の音楽仲間が中田喜直氏から
音楽指導を受けることが出来る様になった。
昭和46年から中田喜直氏は毎年演奏会と氏の大好きなスキーで
来旭する様になった。演奏会ばかりでなく、小学校での合唱指導
音楽集会に参加してくれた。作品では旭川北都商業高等学校合唱部歌
旭川市開基100年記念テーマソング「若い街から」
望郷の鐘テーマソング「北の街に鐘がなる」旭川市明成高等学校校歌
がある。特筆すべき事は平成9年から開催された旭川市音楽振興会主催の
旭川新人音楽界公開オーデションの審査委員長を務め
若い音楽家の発掘に尽力を頂いた。

「雪の降る街を」と旭川市の関係
「雪の降る街を」はもともとは、NHKのラジオドラマ「えり子と共に」の冬の場面の挿入歌として
作られた曲である。 ドラマは昭和24年10月から27年4月まで放送された。
戦後の荒廃した時代に、大学教授とその娘えり子が「本当の幸せとは何か」を模索しながら
生きていく姿を描いた、内村直也原作のドラマで、大変な人気を博した。
それが「ラジオ歌謡」で取り上げられ、広く愛唱されるようになった。「ラジオ歌謡」は「さくら貝の歌」
「あざみの歌」「山小舎の灯」など、いまも歌い継がれる数々の名曲を残したが、この曲もその1つです。
歌の舞台は特定していなかったが、昭和48年旭川に決まった。その年、旭川で全道高校演劇発表大会が
催され、開会式で北都商業高校の合唱部員が「雪の降る街を」を歌った。透き通るような学生たちの歌声が
審査委員として列席していた内村直也をうならせてしまった。「こんなに心にしみる合唱を耳にしたには初めてだ」
と感激した内村は「この歌の舞台が旭川であると決めさせてほしい」という願いを聞き入れ、
それを証明する意味で、歌の一節を記して贈った。
その証明書は丁寧に表装され、旭川北都商業高校に飾られている。

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